イ・サンのホン・グギョンは実在した側近?科挙エリートの栄光と影

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イ・サンのホン・グギョンは実在した側近?科挙エリートの栄光と影
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イ・サンのホン・グギョンは実在したの?ドラマだけの登場人物?

そんな疑問を抱いたことはありませんか?

「イサン ホングギョン 実在」や「ホングギョン 史実」で検索されるように、視聴者の多くは彼のモデルとなった人物が本当に存在したのかを知りたくなるものです。

結論から言えば、ホン・グギョンは朝鮮王朝時代に実在したエリートの側近であり、正祖(イ・サン)に仕えた歴史的人物です。ただし、その生涯や人物像は、ドラマとは異なる点が多くあります。

この記事では、史実に基づくホン・グギョンの半生や実績、そしてドラマとの違いを丁寧に解説します。

あなたがこの記事を読み終える頃には、フィクションと史実の境界線がよりクリアになり、「本当にあった歴史の魅力」にぐっと引き込まれるはずです。

この記事のポイント

  1. ホン・グギョンは実在した官僚
  2. 科挙に合格し正祖に重用
  3. 史実とドラマには大きな差
  4. 子孫は確認できていない

イ・サン「ホン・グギョン」の実在:史実とドラマを比較

イ・サン「ホン・グギョン」の実在:史実とドラマを比較
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「ホン・グギョン」史実とドラマを比較

  • 史実のホン・グギョン
  • イ・サン(ドラマ)でのホン・グギョンの描写
  • ホン・グギョンのドラマと史実の違い
  • ホン・グギョンに子孫は居たのか
  • イ・サンのホン・グギョンは実在したか?まとめ

史実のホン・グギョン

ホン・グギョン(洪國榮/홍국영)は、朝鮮王朝第22代王「正祖(イ・サン)」の時代に実在した実力者です。

ドラマ『イ・サン』では王の側近として登場しますが、その人物像はドラマの演出だけでなく、実際の歴史資料でも確認されています。

名家の出身ではないが、王の信頼を得た人物

ホン・グギョンは1748年(英祖24年)に生まれました。彼の字(あざな)は「徳老(とくろう)」本貫(ほんかん)は豊山洪氏(プンサン・ホンし)です。

本貫とは、韓国でいう“先祖のふるさと”のようなもので、日本でいう家系に近い意味を持ちます。

洪氏は名門の家系ではありましたが、ホン・グギョン本人は特別な高位の家柄ではなく、中人(ちゅうにん)階級と呼ばれる身分に生まれました。

これは王族でも両班(りょうはん)と呼ばれる上流階級でもない、「学問を身につけた庶民」のような立場です。

そんな彼が頭角を現したのは、1771年、23歳のときに科挙(かきょ)に合格したことがきっかけでした。科挙とは、官僚になるための超難関試験で、当時の成功ルートとも言える登竜門でした。

彼はその後、まだ王になる前の世孫(せそん)イ・サン(後の正祖)に仕えるようになり、聡明さと行動力で王の信頼を得ていきます

妹を王の側室にして「外戚」となる

イ・サン ホン・グギョン 妹を王の側室にして「外戚」となる
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ホン・グギョンが大きな権力を持つようになったのは、自分の妹を正祖の側室にしたことが大きな転機となります。妹の名前は記録に「元嬪(ウォンビン)洪氏(ホン氏)」とあり、1778年に入宮(にゅうきゅう)しました。当時、彼女はまだ数えで12歳という若さでした。

元嬪となった妹は、実子(じっし)をもうけることなく若くして亡くなってしまいますが、兄のホン・グギョンはこの婚姻関係を通じて、いわゆる「外戚(がいせき)」──王の妻の親族──として、ますます力をふるうようになります。

その後、ホン・グギョンは王宮の警備や人事に関わる重職、たとえば「金衛大将(クムウィ・テジャン)」や「訓練大将(フンリョン・テジャン)」などを歴任。若くして実質的に国政を左右する存在となりました。

議論の的となった「王位継承」への介入

史料によると、ホン・グギョンは正祖の後継者(こうけいしゃ)問題にも口を出していたとされます。

とくに、自身の妹・元嬪の死後、別の王族の子どもを養子として迎え、元嬪の子という建前で次の世継ぎにしようとしたともいわれています。

これは表向きには正統性があるように見えますが、実質的には自分が「次の王の伯父」として影響力を持ち続ける」ための策略だった可能性もありました。

このような一連の動きは、当時の王朝内で大きな反発を招くことになります。

老論派(ノロンは)という政治派閥からの反発に加え、側近としてホン・グギョンに重用されていた人物の中にも不満を持つ者が現れ、次第に彼は孤立していきました。

正祖との関係と失脚

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ホン・グギョンは、ドラマで描かれるように「正祖の心の友」といえるほどの信頼関係にありました。

正祖は、父(思悼世子)の死をめぐる政争の中で多くの危機に直面し、そのたびにホン・グギョンの助けを受けてきたと言われています。

ですが、権力が大きくなるにつれて、ホン・グギョンの振る舞いは独善的になっていったとされ、周囲の反発と正祖自身の不信感が重なって、1780年に失脚します。

このときの失脚理由はさまざまありますが、史料の中では、王妃を毒殺しようとしたとの疑惑もあります。

ただし、これについては朝鮮王朝の公式記録(実録)には明確な記述がなく、外史(がいし)──つまり後世の非公式な記録──のみに見られる内容です。

したがって、「毒殺未遂」が史実だったとは断定できませんが、正祖の信任を失い、重職から外され流刑(るけい)となったのは確かな事実です。

流罪と死因:「火病」による病死

ホン・グギョンは、江原道(カンウォンド)横城(フェンソン)を経て、江陵(カンヌン)へと流刑され、その地で亡くなりました。年は1781年、数え年で34歳という若さでした。

死因は史料によって明確にされていませんが、『正祖実録』には「火病(ファッピョン/韓国語:화병)」という言葉が記されています。

これは現在で言うところの「ストレスによる心身の病(うつ状態)」に近いもので、強い怒りや悔しさを内にため込み続けたことによって病気になる、とされていました。

現代の韓国でもこの言葉は精神科の診断名として使われることがあり、「怒りの病」とも訳されることがあります。

当時の記録には、彼が「自分は不当に陥れられた」と強く恨みを抱いたまま亡くなったという趣旨の記述もあり、無念を晴らせないまま息を引き取った様子がうかがえます。

死後も続いた「断罪」

ホン・グギョンが亡くなった後、朝廷は彼に対してさらに厳しい対応を取ります。

正祖は彼の官位や爵位(しゃくい)をすべて剥奪(はくだつ)し、家や田畑も没収させました。これは「追奪(ついたつ)」と呼ばれる処分で、死後であってもその人の名誉を完全に否定する行為です。

こうした対応は、王にとってかつての側近であっても、法と秩序を保つためには例外を設けないという厳格な統治姿勢のあらわれでもありました。


以上が、史実に残るホン・グギョンの生涯とその最期です。

ドラマ『イ・サン』で描かれた彼の人物像と比べると、史実のホン・グギョンはより政治的で、かつ波乱に満ちた人物であったことがわかります。

イ・サン(ドラマ)でのホン・グギョンの描写

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韓国ドラマ『イ・サン』(MBC/2007〜2008年放送)において、ホン・グギョンは主人公イ・サン(正祖)を最も近くで支えた側近として登場します。

俳優ハン・サンジンが演じたこのキャラクターは、王の「心の友」と呼ばれるほどの存在感で、多くの視聴者に強い印象を残しました。

若き日の忠臣としての姿

物語の前半では、ホン・グギョンは正義感と忠誠心にあふれた若者として描かれます。宮廷内の陰謀や勢力争いのなかで孤立しがちなイ・サンにとって、彼の存在は大きな心の支えでした。

ホン・グギョンはその賢さと行動力によって、イ・サンの信頼を勝ち取り、次第に王政の中枢へと上りつめていきます。

特に、主人公が危機に直面する場面では、常に命を懸けて助けに入る「影の守護者」としての描写が目立ちます。

権力と葛藤、そして裏切りへ

ドラマが進むにつれ、ホン・グギョンの立場は変化していきます。

妹ウォンビンを王の側室として送り込んだことを機に、政治的な力を一気に手にするようになりますが、次第にその振る舞いが強引になり、周囲からの反感を買うようになります。

とくに注目されるのが、王妃(ヒョイ王妃)への敵意をきっかけに、王妃暗殺を計画する展開です。

第65〜66話では、王妃の食事に毒を盛るよう命じるなど、ホン・グギョンが“裏切り者”へと変わっていく過程が描かれます。

ただし、ドラマでは彼の動機に同情的な要素も加えられており、裏切りの裏には「妹の死への悲しみ」や「サンに見放されたくないという執着」があったとほのめかされます。

視聴者には、単なる悪役ではなく、心の葛藤を抱えた悲劇的な人物として印象づけられます。

主君との別れと涙の最期

物語終盤では、ホン・グギョンはすべての罪を認め、流刑となります。流刑地で病に倒れた彼のもとに、イ・サンが駆けつけるという感動的なシーンが描かれました。

イ・サンは、ホン・グギョンの亡骸を抱きしめながら「お前を一度も心から恨んだことはない」と語りかけます。

ホン・グギョンも涙ながらに忠誠を口にし、静かに息を引き取る場面は、二人の絆と悲しみが凝縮された名シーンとして語り継がれています。

このように、ドラマ『イ・サン』におけるホン・グギョンは、忠臣から裏切り者へと転じる複雑な人物として描かれながらも、その内面には一貫して「主君への想い」が存在していた――というドラマティックな解釈がなされています。

ホン・グギョンのドラマと史実の違い

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韓国ドラマ『イ・サン』に登場するホン・グギョンは、王・正祖(イ・サン)の忠実な腹心として描かれますが、物語が進むにつれて裏切りや野心があらわになっていく、非常にドラマティックな人物です。

一方、実際のホン・グギョンは、政治的な理由で失脚し、病死したと記録されています。

では、どの点がフィクションで、どこに史実の片鱗があるのか?

以下に、「ドラマ vs 史実」の主な違いを比較表で整理しながら詳しく見ていきましょう。

ホン・グギョンの描かれ方:ドラマと史実の比較表

項目ドラマ
『イ・サン』の描写
史実(実録など)
正祖との関係幼少期から信頼を寄せられる「心の友」。感情的にも深い絆が強調される。側近であり有能な補佐役だが、実録には「心の友」のような親密な表現はなく、関係はより実務的。
出世の経緯功績と忠義により急成長。正祖の厚い信頼を受けて抜擢される。科挙合格後に正祖の庇護を受けて出世。外戚関係により政治的に影響力を持つ。
妹(ウォンビン)との関係妹が王の側室になることで、ホン・グギョンが力を持つきっかけになる。妹の死が裏切りの動機になる。妹が正祖の側室「元嬪」として入宮し、外戚として実権を握る。妹の死後、王室内での立場が揺らぐが、復讐心の記録はない。
王妃暗殺計画ヒョイ王妃(孝懿王后)を毒殺しようとする。妹の死の復讐として描かれる。正式な記録にはそのような暗殺計画の記述なし。外史で語られる噂レベル。
裏切りの動機「王に見捨てられたくない」という執着や愛情にも似た感情。感情的な葛藤が中心。政敵との対立、専横的な振る舞い、世継ぎ問題への不適切な介入など、政治的な理由が中心。
死因流刑先で病死。正祖と感動的な再会を果たし、和解して死去。鬱火病(うっかびょう/火病)による病死と記録。再会や和解の記録はない。
死後の扱い王に弔われるような雰囲気で終わる。官位剥奪、家屋没収など、厳しい追奪処分が科される。

どこからがフィクション?一歩深く読み解く

イ・サン ホン・グギョン どこからがフィクション?一歩深く読み解く
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ドラマのホン・グギョン像は、多くの視聴者に「悲劇の忠臣」として映ります。

とくに印象的なのが、裏切りを決意するまでの心の揺らぎや、死の間際に交わされる正祖との涙の別れ――これらはフィクションならではの演出であり、実録などの一次資料にはそのような記述は一切ありません。

とはいえ、史実にも「ホン・グギョンが権力を握りすぎて反感を買った」「正祖との関係が徐々に崩れた」といった流れは見られます。

つまり、ドラマは一部の史実をベースに、視聴者が感情移入しやすいよう脚色を加えて描かれていると言えるでしょう。

ドラマの視聴ポイントと歴史背景

視点ドラマでの描き方実際の歴史的背景
描写忠義と裏切りのはざまで揺れる人間ドラマ。心理描写が丁寧。当時の王朝内部の派閥闘争や外戚政治、王位継承問題など、複雑な政治的背景。
主人公との関係正祖との個人的な情のつながりが物語の核となる。実際には、情よりも権力や立場の変化による信頼関係の崩壊が中心。

ドラマの良さと、史実の重み

歴史ドラマは「事実そのまま」を伝えるものではありません。視聴者が感情移入しやすく、物語として成立するよう脚色されているのが前提です。

とくに『イ・サン』は、史実の枠組みを保ちつつも、登場人物の心情や人間関係を丁寧に描くことで多くの人の共感を得ました。

一方で、実際のホン・グギョンは、理想と現実のギャップの中で翻弄された“実務型の政治家”だったとも考えられます。

感動的なセリフや涙の別れといったドラマティックな展開はありませんが、史実においても朝鮮王朝史の中で重要な役割を担ったことは間違いありません。


このように、『イ・サン』で描かれたホン・グギョン像と、史料に記録された実像とでは、ドラマ=感情、史実=政治という観点から大きく異なります。

どちらも知ることで、より深く彼という人物の魅力や、その時代の複雑さが見えてくるのではないでしょうか。

ホン・グギョンに子孫は居たのか

ホン・グギョンに子孫は居たのか
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ドラマ『イ・サン』の中でも強い印象を残すホン・グギョン(洪國榮/홍국영)。

彼は王・正祖(イ・サン)の信頼を受けて出世した実在の人物ですが、視聴者の中には「この人に子どもはいたの?」「現在に続く子孫がいるのでは?」と気になる方も多いのではないでしょうか。

ここでは、ホン・グギョンの「子孫」について、史実とドラマの両面から検証していきます。

史実では「ホン・グギョンに実子がいた」という確かな記録は確認されていない

まず史実から見てみましょう。

ホン・グギョンに関して記録されている主な史料としては、以下のようなものがあります。

  • 『朝鮮王朝実録(정조실록)』
  • 『洪氏族譜(홍씨 족보)』:洪氏一族の家系図
  • 『한국민족문화대백과사전(韓国民族文化大百科事典)』

これらを調査しても、ホン・グギョンの「息子」や「子孫」に関する明確な記述は確認されていません

また、『正祖実録』では彼の政治的な活動や死後の処罰(追奪処分)については詳細に記録されていますが、家庭内の事情や家族構成、特に「子ども」については触れられていません

つまり、現時点では「ホン・グギョンに子どもがいた」と断言できる公的資料は存在しない状態です。

「名門・豊山洪氏」の一員ではあったが、家系が続いたかは不明

ホン・グギョンの出自である「豊山洪氏(풍산 홍씨)(プンサン・ホンし)」は、朝鮮時代を代表する名門のひとつで、多くの文臣や学者を輩出した家門です。

有名な例では、朝鮮王朝の第21代王・英祖(ヨンジョ)の側室「貞聖王后(チョンソンワンフ)」もこの家門の出身です。

つまり、一族としての洪氏は今日まで続いている可能性が高いですが、ホン・グギョン個人の「直系の血筋」が現代まで残っているかどうかは不明です。

また、彼は失脚後にすべての官位と称号を剥奪され、家屋・財産まで没収されたため、もし子孫がいたとしても公的には記録に残されなかった、あるいは名乗ることができなかった可能性もあります。

ドラマ『イ・サン』での描写には「子孫」についての描写はなし

イ・サン ホン・グギョン  ドラマ『イ・サン』での描写には「子孫」についての描写はなし
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ドラマ『イ・サン』では、ホン・グギョンの政治的な台頭、正祖との絆、そして裏切りと死という波乱の人生が丁寧に描かれますが、彼の「家族」や「子ども」については一切言及されていません

妹・ウォンビンが正祖の側室となる場面はドラマ内でも重要なエピソードですが、ホン・グギョン自身の家庭についてはあくまで背景としても描かれていないため、ドラマでも「子孫の有無」は不明です。

今後の資料発見に期待

結論として、ホン・グギョンに子どもや子孫がいたかどうかは「不明」であり、史料上では確認されていないことが分かります。

しかし、それだけに彼が残した政治的な足跡やドラマ内での印象が、「今も生きているのでは?」と思わせるほど強烈だったとも言えるでしょう。

もし今後、韓国の洪氏族譜や地方の記録から新しい発見があれば、その情報が彼の家系に光を当てる日が来るかもしれません。


【参照元(韓国語)】


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ホン・グギョンが実在の人物であり、正祖(イ・サン)の治世で重要な役割を果たしたことを確認してきました。

ドラマ『イ・サン』では彼の忠誠心や葛藤、裏切りといった人間的な側面が強調されますが、史実のホン・グギョンは、政敵や政治的派閥との対立の中で失脚した冷静な実務官僚だったと考えられます。

彼の死因や子孫の有無については謎が残るものの、だからこそ多くの人が彼の人生に興味を持ち、検索し続けているのかもしれません。

史実に触れることで、韓国時代劇がもっと深く味わえるようになります。

これからも、そんな発見をお届けできたら嬉しいです。

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