
英祖の側室について気になりますよね?
李氏朝鮮の第21代国王・英祖の後宮には、靖嬪李氏や暎嬪李氏など歴史に名を刻む女性たちがいました。
あなたがこの記事を読むと、彼らの出自や役割、英祖との深い絆が一次史料に基づいて明らかになります。
さらに、側室たちの人生から垣間見えるドラマチックな宮廷の裏側を知ることで、歴史への理解が深まり、韓流ドラマを観る目も変わるはずです。
英祖の時代を彩った彼女たちの物語を紐解きながら、あなたも歴史のロマンに浸ってみませんか?
この先では、それぞれの側室の魅力と影響力を詳しくお届けします。
(※本記事は新たな調査に基づき、内容を更新しました。)
この記事のポイント
英祖の側室は4人

英祖の代表的な4人の側室
- 英祖の側室(後宮)とその出自・役割
- 靖嬪 李氏(チョンビン イ氏)- 英祖の初恋ってホント?
- 暎嬪 李氏(ヨンビン イ氏)- 英祖が心から愛した女性
- 貴人 趙氏(クィイン チョ氏)- 穏やかに長生きした側室
- 淑儀 文氏(スギ ムン氏)- 晩年の寵愛と悲しい結末
- 英祖の側室たちを振り返って
英祖の側室(後宮)とその出自・役割
李氏朝鮮第21代国王・英祖(在位1724–1776年)には複数の側室(後宮)がいました。
そのうち主要な側室として史料に記録されているのは、以下の4名です(その他に生没年不詳の尚宮李氏もいますが、記録が乏しいため省略します)。
- 靖嬪李氏:英祖初の側室、孝章世子の母
- 暎嬪李氏:最愛の側室、思悼世子の母
- 貴人趙氏:和柔翁主の母、晩年昇進
- 淑儀文氏:晩年の寵愛、廃位で悲劇
いずれも『朝鮮王朝実録』や王室の記録に裏付けられた人物であり、その出自や英祖との関係が詳細に伝えられています。以下、それぞれの側室について、参照元など記載しながら説明します。
靖嬪 李氏(チョンビン イ氏)- 英祖の初恋ってホント?

最初にご紹介するのは、靖嬪李氏。1694年生まれで、英祖がまだ王になる前から側室だった女性です。
漢陽(今のソウル)出身で、実家は咸陽李氏という由緒ある家柄。
英祖との間に1719年に長男・敬義君(後に孝章世子)を産んだんですが、この子が英祖の跡継ぎとして期待されたんですよ。
ところが、孝章世子は1728年に若くして亡くなってしまって…。靖嬪さん自身も1721年、28歳という若さでこの世を去ってしまいました。
英祖が王になったあと、1724年に彼女を「靖嬪」という立派な位に追贈したんですって。
歴史書『英祖実録』にも「孝章世子を産んだ母を靖嬪にした」としっかり書かれています。
彼女の墓は楊州にある「綏吉園(スギルウォン)」で、1778年に正祖(英祖の孫)が「温僖」という素敵な諡号を贈ってくれました。
よく「英祖の初恋だった」とか「一番愛された女性」なんて言われるけど、それは彼女が英祖に初めて男の子を産んだ側室だったからかもね。
私たちの世代だと、若い頃の淡い恋を思い出しちゃうようなロマンチックな話に感じます。
ただ、史実では彼女が亡くなった後に英祖が王になったから、二人が一緒に過ごした時間はそう長くなかったみたい。ちょっと切ないですね。
暎嬪 李氏(ヨンビン イ氏)- 英祖が心から愛した女性

次は、暎嬪李氏。1696年生まれで、1764年まで生きたこの方は、英祖が「一番愛した」と言われる側室です。
全義李氏という家柄で、1701年に宮女として宮廷に入り、1726年に英祖の側室に。1730年には「暎嬪」という高い位に昇格して、40年以上も英祖のそばにいたんです。
英祖との間には1男6女をもうけて、特に長男・思悼世子(サドセジャ、1735~1762年)は有名ですよね。この子は後に正祖のお父さんになる人なんだけど、悲しい運命をたどっちゃって…。
暎嬪さんは穏やかで慎み深い性格だったそうで、英祖が自ら彼女の墓碑銘に「40年以上慎ましく王室を守った」と書くくらい高く評価していたんです。
でも、息子の思悼世子が1762年に英祖の命令で米櫃に閉じ込められて亡くなった「壬午禍変(イムオファビョン)」は、彼女にとってつらい出来事だったでしょうね。
記録によると、英祖が迷っているときに暎嬪さんが「しっかり決断してください」と涙を呑んで進言したとか。母としてどれだけ辛かったか、私たちにも想像がつきますよね。
1764年に69歳で亡くなったとき、英祖はすごく悲しんで、彼女のために自分で墓碑銘を書いたんです。
これは側室としては本当に珍しい待遇!墓は「綏慶園(スギョンウォン)」と呼ばれ、後に「昭裕」という諡号も贈られました。
ドラマで見るような王様の深い愛を感じるお話で、私たちもちょっと胸が熱くなっちゃいますね。
貴人 趙氏(クィイン チョ氏)- 穏やかに長生きした側室

3人目は貴人趙氏。1707年生まれで、1780年まで生きた長寿の側室です。豊壌趙氏という家柄で、10歳の1716年に宮女として入宮。
1735年に英祖の側室になって、1740年に娘・和柔翁主(ファユオンジュ)を産みました。英祖の晩年1772年に「淑儀」、そして英祖が亡くなった後の1778年に「貴人」という高い位に昇ったんです。
側室の中で最後まで生き残って「貴人」になったのは彼女だけなんですよ。
趙さんは英祖との間に娘2人を産んだんですが、1人は早く亡くなってしまって、和柔翁主だけが大人になりました。
この娘は黄仁点という人に嫁いでいます。英祖との関係は穏やかだったみたいで、政治的なゴタゴタに巻き込まれることもなく、静かに暮らした印象。墓は今も京畿道富川市にあって、「貴人趙氏墓」として残ってるんですって。
私たち世代には、波乱万丈じゃなく穏やかに生き抜いた彼女がなんだか身近に感じますね。
淑儀 文氏(スギ ムン氏)- 晩年の寵愛と悲しい結末

最後は淑儀文氏。生年ははっきりしないけど、1776年に亡くなった、英祖の晩年の側室です。宮女出身で、1753年に「昭媛」、1771年に「淑儀」に昇格。
英祖との間に和寧翁主(ファニョンオンジュ、1752~1821年)と和吉翁主(ファギルオンジュ、1754~1772年)という2人の娘を産みました。でも、男の子には恵まれなかったんです。
文さんは英祖から可愛がられたけど、思悼世子とは仲が悪く、彼を失脚させるために老論派と手を組んでいろいろ画策したとか。
特に1762年の米櫃事件では、裏で動いた一人と言われています。
でも、英祖が亡くなった1776年に正祖が即位すると、父・思悼世子を死に追いやった文さんに厳しい罰が。側室の位を剥奪され、家族も処罰されて、最後は自害を命じられたそうなんです。
歴史書にも「淑儀文氏の爵号を奪う」とハッキリ書かれています。晩年に権力を握ったけど、最後は悲惨な結末…。私たち世代だと、人生の浮き沈みにしみじみ感じ入っちゃいますね。
英祖の側室たちを振り返って
英祖の側室って、靖嬪、暎嬪、貴人趙氏、淑儀文氏の4人がメインで、それぞれにドラマチックな人生があったんですよね。
息子は孝章世子と思悼世子の2人だけ、娘たちはそれぞれの側室から生まれていて、歴史書できちんと記録されています。
ドラマ『イ・サン』を見たことある人は、暎嬪さんや文氏が出てきて「おおっ!」って思うかもしれないけど、史実とはちょっと違うところもあるから、こうやって本当の話を知るとまた楽しさが違いますよ。
みなさんも、歴史の裏にこんな女性たちの物語があるって知ると、ちょっと親近感が湧いてきませんか?
英祖と側室をもっと知る

英祖の性格や子ども
- 英祖の側室とその子供たち
- 英祖の性格と側室たちの生活
- 側室制度と宮廷の権力構造
- 英祖が登場する歴史ドラマ
- 英祖と側室について:まとめ
英祖の側室とその子供たち
英祖(ヨンジョ)の治世では、側室たちが宮廷政治に大きな影響を与えました。彼女たちは単なる王の伴侶ではなく、王子や王女を産み、王位継承争いや宮廷内の派閥争いの中で重要な役割を果たしました。
特に、英祖の息子たちの運命は、彼の治世や後継者選びに大きな影響を与えます。
英祖の子供たち
英祖の側室たちは、複数の王子・王女を産みましたが、王位継承に深く関わったのは孝章世子(ヒョジャンセジャ)と荘献世子(サドセジャ)でした。
- 孝章世子(ヒョジャンセジャ)(母:靖嬪李氏)
- 英祖の最初の息子であり、幼少期から王位継承者として期待されていました。
- しかし、9歳で病死し、英祖はこの喪失を深く悲しみました。
- 孝章世子の死は、後の継承争いを激化させる要因となりました。
- 荘献世子(サドセジャ)(母:暎嬪李氏)
- 英祖の次男であり、王世子として指名されましたが、精神的な問題を抱えました。
- 宮廷内での行動が問題視され、英祖との関係が悪化。
- 最終的に英祖は彼を米びつに閉じ込めて餓死させるという決断を下しました。
- 彼の死後、孫である**李祘(イ・サン/正祖)**が王位を継ぐことになります。
英祖の王女(翁主)
英祖の側室たちが産んだ王女たちも、宮廷内の政局に少なからず影響を与えました。
- 和順翁主(ファスンオンジュ)
- 和平翁主(ファピョンオンジュ)
- 和協翁主(ファヒョプオンジュ)
- 和緩翁主(ファワンオンジュ)(母:暎嬪李氏)
- 和柔翁主(ファユオンジュ)(母:貴人趙氏)
- 和寧翁主(ファリョンオンジュ)
- 和吉翁主(ファギルオンジュ)
特に、和緩翁主(母:暎嬪李氏)は、兄である荘献世子の影響を大きく受けました。彼女は宮廷内の派閥争いの犠牲になり、兄の死後、その立場が厳しくなりました。
英祖の性格と側室たちの生活

英祖は、非常に厳格で冷徹な性格で知られ、宮廷内の統制を厳しく行いました。彼の厳しさは、家庭内の摩擦を生み、側室や子供たちにも影響を及ぼしました。
側室の政治的役割
英祖の時代、王の側室は単なる愛人ではなく、政治的に重要な存在でした。
出自が低くても、王の寵愛を受けることで地位を向上させることができ、子供を産めば宮廷内での影響力を高めることができました。しかし、その影響力が派閥争いを招き、権力闘争の道具にされることもありました。
- 靖嬪李氏:孝章世子を産みましたが、彼の早逝により権力争いからは外れることに。
- 暎嬪李氏:荘献世子を産みましたが、彼の奇行が問題視され、最終的に英祖に処刑されました。
- 貴人趙氏:和柔翁主を産み、孫である正祖の時代まで生き残りました。
- 淑儀文氏:正祖の即位を阻止しようとしたため、即位後に処刑されました。
王妃と側室たちの関係
英祖には二人の王妃がいましたが、側室たちとの関係も大きく影響しました。
- 貞聖王后 徐氏(チョンソンワンフ・ソシ)
- 最初の王妃。子供を産むことはありませんでしたが、英祖の治世を支えました。
- 貞純王后 金氏(チョンスンワンフ・キムシ)
- 晩年の王妃。王位継承問題にも関与し、孫の正祖の即位に重要な役割を果たしました。
側室たちは、王妃の立場を脅かす存在であり、宮廷内での競争は熾烈でした。特に、荘献世子を巡る対立が、宮廷の派閥争いをより激化させる要因となりました。
【関連記事】イ・サンと4人の側室(英祖の次期王『正祖』の側室事情)
側室制度と宮廷の権力構造

朝鮮王朝では、側室制度は王位継承を確保するための重要な制度でした。王妃が男子を産まなかった場合、側室の子が王位を継ぐこともあり、英祖の場合も側室の子供が王位継承者となりました。
側室の役割
- 王室の血統を維持する
- 王の寵愛を受けることで政治的影響力を持つ
- 宮廷内の派閥争いに巻き込まれる
特に、英祖の時代には、側室たちが王権や王位継承問題に深く関与し、権力闘争の一翼を担いました。
英祖の側室と子どもたちをまとめると
英祖の側室たちは、王室の安定だけでなく、宮廷内の政治にも大きな影響を及ぼしました。彼女たちが産んだ子供たちは、王位継承や権力争いの中心に置かれ、その運命が朝鮮王朝の歴史を大きく動かしました。
- 孝章世子(靖嬪李氏の子)が幼くして亡くなったことで、王位継承問題がより複雑化。
- 荘献世子(暎嬪李氏の子)が英祖に処刑され、その息子・**李祘(正祖)**が王位を継ぐ。
- 側室たちの権力争いは宮廷内の派閥抗争を激化させた。
英祖の時代の側室制度は、単なる王の愛人の存在を超え、王朝の未来を左右する重要な要素だったのです。
参照元
英祖が登場する歴史ドラマ

英祖(朝鮮王)の人物は、韓国の時代劇ドラマにおいてしばしば取り上げられる重要な存在です。ドラマ『トンイ』や『イ・サン』を始め、複数の作品があります。
これらの作品は、視聴者に対して単なる娯楽を提供するだけでなく、歴史的な出来事を通して人間ドラマと政治の複雑さを伝えています。
映画「王の運命 歴史を変えた八日間」(2015年)
この映画は、英祖が息子の思悼世子を米びつに閉じ込めて死に至らしめた史実を基に制作されました1。ソン・ガンホが英祖を、ユ・アインが思悼世子を演じ、父子の確執と悲劇的な結末を描いています。
映画は、この出来事に至るまでの8日間に焦点を当て、両者の心理的葛藤を深く掘り下げています。映画「王の運命 歴史を変えた八日間」は Lemino で視聴可能です。
ドラマ「秘密の扉」(2014年)
このドラマは、英祖と思悼世子の関係を中心に据えつつ、ミステリー要素を加えた作品です2。ハン・ソッキュが英祖を、イ・ジェフンが思悼世子を演じています。
物語は殺人事件を軸に展開し、英祖の政治的苦悩や思悼世子との確執を描きながら、朝鮮王朝の複雑な政治情勢も描写しています。ドラマ「秘密の扉」は Prime Video で視聴可能です。
ドラマ「イ・サン」(2007年)
このドラマは、英祖の孫である正祖(イ・サン)の生涯を描いた大作です3。英祖は重要な脇役として登場し、イ・サンの幼少期から青年期にかけての物語に大きな影響を与えています。
ドラマは、英祖による思悼世子の処刑という悲劇的な出来事から始まり、その後のイ・サンの成長と苦難の道のりを描いています。ドラマ「イ・サン」は Hulu で視聴可能です。
ドラマ「大王の道」(1998年)
この作品は、思悼世子を主人公とし、英祖との確執を中心に描いたドラマです4。全34話にわたり、思悼世子の生涯と彼を取り巻く政治的陰謀、そして英祖との複雑な父子関係を詳細に描いています。
これらの作品は、英祖の治世における政治的緊張、党派争い、そして最も重要な要素として、彼と息子との悲劇的な関係を様々な角度から描いています。
歴史的事実を基にしながらも、それぞれの作品が独自の解釈や演出を加えることで、この複雑な歴史的出来事に新たな光を当てています。ドラマ「大王の道」 Hulu で視聴可能です。
英祖と側室について:まとめ

英祖とその側室たちの関係は、王室内の人間関係を超え、朝鮮王朝の運命にまで影響を及ぼした重要な要素でした。
王妃が果たせなかった役割を担い、男子後継者を産むという重大な責務を持った彼女たちは、政治的な駆け引きの中で王や他の側室たちとの関係に悩みながらも、自らの子供を守り抜こうと奮闘しました。
その一方で、英祖の厳格な性格や家庭内の軋轢は、側室たちの生活に多くの苦悩をもたらしました。特に、思悼世子の悲劇は王室の安定を揺るがし、後の正祖の即位にも大きな影響を与えました。
こうした背景から、側室たちは単なる王の伴侶としてだけでなく、宮廷内外での権力の象徴としても重要な存在だったことが理解できます。
英祖の側室たちの生涯とその影響を知ることで、朝鮮王朝の複雑な歴史をより深く理解できるでしょう。